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あの頃の子供がほぼほぼ持ってたレコードです。 もも [無伴奏ソナタ2018]

パフォーマンスの稽古に勤しみ過ぎて、芝居の稽古が疎かだ。

初演、再演でわかってただろうにワタワタです。
ども、ワタワタワタクシ、「ももこ」 こと 岡田さつきです。
今週で仕上げなければなりません。
でもなんか心残りができそうな芝居の稽古時間。
初演も再演もそうだったのに注意喚起を怠りました。
とにかく、今週は芝居強化週間です。初通しやりましたけど、まだまだです。
で、初めて買ったーーーそう、私はレコード世代ですからねーーー
「およげたいやきくん」です。あの頃の子供がほぼほぼ持ってたんじゃないですかね?
バレエの発表会で上手に踊れたら買ってくれると言うので頑張りました。
ただ、審査員は身内だし、何をもってして上手なのかは定かでないので
約束した時点でゲット確実でした。
しかし、私はその時、既にかなりのレコード持ちでした。
「日本童謡全集」みたいなの30巻とか持ってまして
そりゃもう、未来は歌手だね?の勢いで毎日聴き、毎日歌い、
既にレコードには不自由してませんでした。
永らくキャラメルに接してくださる方ならどこかでお読みになったかもしれませんが
私は4、5歳の頃から小2になるまで、両親、弟と離れて母方のおばちゃんとおばあちゃんに
育てられました。それは、私がお友達の多かった東京に帰りたい病になったからです。
小倉の幼稚園は親のお迎えの都合で住んでる団地より遠いとこにあり、
休日に遊ぶお友達がいなくて、いつも弟と二人で公園で遊んで紙芝居屋さんを待ちました。
団地ですから、他の子は皆同じ幼稚園に通っている顔馴染みなのです。
そのうち私は朝になるとお腹が痛くなり、親も青ざめるほどの便秘になり、
小倉での思い出ーーー母親がお尻に坐薬を入れようとするのを泣いて拒絶するーー
ええ、痛かったんです、当時の坐薬ーーそんなのが鮮明に残ってます。
で、お医者さんに行ったらきっぱり「東京に帰りたい病です」と言われたそうです(^_^;)。

私達が引っ越した後の東京の団地に母の姉のおばちゃんが入居していて、おばあちゃんが
腎臓病で結婚できないおばちゃんに(そういう時代だったんです)子育てをさせてあげたら?
ということで、両家の思惑は合致し、私はマンマと騙され東京に帰ってきました。
私は母と弟とおばちゃんの家で暮らす、と聞いて帰ってきたんです。
4歳の子供は母さえ居ればOKなんすよ、お父さん( ;∀;)。
一週間後、遊んで帰ったらママは小倉へ帰ったよ、と言われました。
ベランダにしがみついてずぅぅーと「ままぁぁぁあぁー」と泣き続けました。
でも、子供なので日々のお友達との交流ですっかり馴染みました。
後々、おばちゃんに「あんたが泣いて叫んでた時、もぉ自分が悪人みたいでおっぱいが痛かった」と言われ、そりゃ申し訳なかったなぁと思いました。
だって、子供だから一瞬悲しいけど取捨選択が単純で、希望のある方へすぐさまベットするんですよ。大人ほどにいろいろは考えないーーー考えてたとしても大雑把なんです、物を知りませんもん、大人より。自分にできることの範囲もわかってた気がします。
今よりずっと。
そんな私に小倉からレコード全集や日本、世界童話集が季節ごと送られてきました。
なので私は5歳でひらがなや簡単な漢字は読める子になってましたし、英語の歌も入っていたのでそれなりにに歌ってました。それは、当時ではハイソな感じです。
ウィンウィンの私の東京帰りのようですが、実はおばあちゃんは私を養子に欲しかったのです。
農地改革で土地は失いましたが、おばあちゃんとしては自分の代で家名を絶えさせるのが
ご先祖様に申し訳なかったのでしょう。
妹が生まれた時に母も「うちには男女一人づついるし、さつきが東京に馴染んでるなら
それが一番いいのかもしれない」と思ったようで、そのまま進んでいれば
今、キャラメルに「岡田」は二人いませんでしたよ(^_^;)。

納得しなかったのが父で、小倉での仕事を全部捨てて慌てて東京に帰ってきました。

おばちゃんとおばあちゃんにとても大切なことをたくさん教わりましたけど、
その後も父と何度も衝突してました。
まさか自分の養子話が元だとは知りません。
ずっとずっと後です。いろいろ知るのは。父が亡くなってから。

あのレコード全集も童話全集も全部、父が「さつきに送ってやれ」と買ったものでした。
慌てて帰ってきたから住むとこなくて、腹立たしいのにおばちゃん、おばあちゃんの家に
一ヶ月一緒に住み、でも、私にはそんな素振り一つ見せませんでした。
その頃に買ってもらったのが「およげたいやきくん」です。

パパ!!! 愛が遠回りだよっ!!! と思います。言えよ、喧嘩したあの高校生の時に! あの朝帰りした時に!  

「およげたいやきくん」から当時の
父の想いとか他の大人たちの切実がわぁんわぁんと響いてちょっと泣いちゃった(。>﹏<。)
私はパパの大切な娘だった。
私自身が大切にしなければいけない私です。
背筋を伸ばしてしゃんと歩いて行こうと思うのです。
まずは本日、衣装付きの通しでちゃんとお着替えできますようにーーーと作戦会議です。
 
DSC_0967.jpg


2018-05-10 13:38  nice!(1)  コメント(0) 

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