相部屋は楽しい。山﨑 [無伴奏ソナタ2018]
おじさんの十八番(岡田達也) [無伴奏ソナタ2018]
ども、おじさんの岡田達也です。
今回のテーマは『私の十八番(おはこ)』らしい。
『十八番』とは「その人の最も得意とすること」。
で、今回は音楽に引っ掛けているわけだから、要はあなたが歌うときの十八番は何?て話だ。
僕は歌は嫌いじゃないが、まったくもって上手くない。
いたって人並みだと思う。
そんな人間だが、歌うことは好きだった。
僕がカラオケボックスの存在を初めて知ったのは大学4年のとき。
JRの貨物コンテナを改造したものだった。
今にして思えば実に不思議な作りだった。
それ以前は歌うといえばスナック。
歌える場はそこしかなかったのだ。
僕の行きつけは、鳥取末広温泉町にあった『盗賊の館(とうぞくのやかた)』というお店だった。
あのお店で僕の肝臓とカラオケは鍛えられた。
80年台の中盤から後半
僕たちが歌っていたのは
王道のサザンオールスターズだったり
女の子にモテたけりゃチェッカーズだったり
やっぱりオフコースだったり
アイドル全盛期だったのでマッチや少年隊だったり
(どういうわけかトシちゃんは歌われなかった)
英語をかじれば『ウイ・アー・ザ・ワールド』だったりした。
(世代的に理解してもらえるの人もいるのでは?)
もちろん僕も、そのあたりは一通り歌った。
で。
一番歌ったのは文句なく尾崎豊だった。
僕は好きだったが、周囲には「説教臭い」と嫌う輩も多かった。
(ちなみに説教臭いと言われていたのは、尾崎豊、渡辺美里、ハウンド・ドッグ)
それでも僕は歌った。
親友の淳ちゃんと一緒に。
『I Love You』も
『17歳の地図』も
『卒業』も
『ダンスホール』も
『シェリー』も
『路上のルール』も
片っ端から歌った。
あれから30数年
三度のポリープ除去手術を受けた僕は
「カラオケは控えなさい」
という担当医の指示によってカラオケに行かなくなった。
だが、今でも年に一度くらいは酔った勢いで歌いに行く。
マイクを握って離さないなんてことはないが、それでも尾崎を必ず一曲だけ歌う。
やっぱり
一番多感で、敏感で、何もかもが面白くて、
そのくせ無責任に生きていたときに歌っていた曲だから、
歌自体に対する思い入れと言うより、その時代を懐かしむ意味も込めて歌ってしまう。
ま、十八番って言うより、必須な曲というのが正しいかも。
*
『無伴奏ソナタ』
今は塩尻にいる。
毎日、高校生たちに囲まれている。
今の高校生ってカラオケは何を歌うのだろう?
いや
僕が聞いてもアーティスト名すらわからないんだろうな。
……だれがおじさんやねん
では、また。
畑中さんとの2ショット。山﨑 [無伴奏ソナタ2018]
人生は思い通りにいかないものです(岡田達也) [無伴奏ソナタ2018]
ども、岡田達也です。
今回のお題は『無伴奏ソナタ』にちなんで「初めて買ったCD」。
……ん?
……CD?
僕が初めて買ったのはレコードなんですけど
参加資格は無いですか?
レコードでも良いですか?
許してもらえますか?
*
僕には2才歳上のしんちゃん(♂)と
4才歳上のちあきちゃん(♀)という従姉妹がいる。
今から42年前。
僕が小学校3年生のとき。
しんちゃんは小学5年生
ちあきちゃんは中学1年生。
僕たちはフィンガー5に夢中だった。
「3人でフィンガー5をやろう!」
それは自然な流れだった。
多くの子供たちがキャンディーズのマネをしたように
あるいはピンクレディーのマネをしたように
売れているグループをコピーするのは当然のことだった。
「まずはレコードを買おう!」
そう言い出したのは、しんちゃんだったか、ちあきちゃんだったか?
少なくとも8才の僕じゃない。
当時、シングルレコードは600円だった。
「じゃぁ、一人200円ずつね」
僕は親に小遣いをねだり、200円を渡した。
僕は『学園天国』が欲しかった。
絶対に、絶対に『学園天国』を買うつもりだった。
「『学園天国』だよね?」
僕は何度も念を押した。
しんちゃんとちあきちゃんは何故かヒソヒソ話をしていた。
その姿を見てイヤな予感はしていた。
レコード屋から戻ってきたしんちゃんとちあきちゃんが手にしていたのは『恋のアメリカン・フットボール』だった。
やられた……
子供だと思ってバカにしやがって……
これが最初に買ったレコードということになるだろうか?
「人生は思い通りにいかないんだ」ということを思い知らされた一枚である。
*
『無伴奏ソナタ』
思い通りにいかない人たちがたくさん出てくる。
それがまた愛おしかったりする。
いよいよ劇場入りです。
見届けてやってください。
では、また。
忘れちゃいけません(生田) [無伴奏ソナタ2018]
あの頃の子供がほぼほぼ持ってたレコードです。 もも [無伴奏ソナタ2018]
パフォーマンスの稽古に勤しみ過ぎて、芝居の稽古が疎かだ。
ボブディランよりホフディラン(オレノ) [無伴奏ソナタ2018]
ご無沙汰しております。オレノグラフィティです。
「無伴奏ソナタ」早いもので、いよいよ来週初日を迎えようとしております。
初演、再演を観させて貰ってる時はただただ楽しく拝見していたのですが。
いざ自分がやる側になると、こんなにもたくさんの要素があるのかと驚き、日々テンテコ舞いです。
白鳥は 優雅に見えて 水面下 死に物狂い バタ足マダム
という例のやつですね。
初演時のキャストの皆様に改めてリスペクトを感じております。
とは言え、新たに集まった今回の座組みの皆様と新しい「無伴奏ソナタ」を作りあげていくのは非常に楽しく。
2018年版の「無伴奏ソナタ」を皆様のもとにお届けできる日を心待ちにしつつ、日々ラストスパートに勤しんでおる次第であります。
さて今回のお題は、「初めて買ったCDレコード」ということなので、遠い遠い記憶を掘り起こしました。
多分ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」だったんじゃないかなあ・・・。
CD発売時にオリコンチャート何位以内に入らなければ解散みたいな企画があり、「解散なんてヒドイ!」と小学生の自分は憤って踊らされて、CDを初めて買ったような気がします。
時は「ASAYAN」「TKプロデュース」全盛期。
「CDTV」を欠かさず見て、石川さんと知らずにアビー君の声を聞いていました。
いい時代だったなあ。。。
ちなみに初めて借りたCDは嘉門達夫師匠の「バルセロナ」だったと記憶しております。
僕の作詞・作曲のルーツです。
というわけで、5月16日、東京サンシャイン劇場を皮切りに「無伴奏ソナタ」開幕いたします。
各地の皆様にお会いできるのが本当に楽しみです!
J-POP大好き人間だったもんで英語歌詞の曲に苦労している僕ですが、生暖かい目で見守りに来ていただけると嬉しいです。
アコギ片手に吉田拓郎気分、いやだめだ。
ボブディラン気分でお待ちしております!
写真は大好き大先輩、石橋徹郎さんのお誕生日!
ハピバースディー!
石橋さんのようにカッコよく歳を重ねたいと密かに思っております。
600族ならマルスケカイリュー山﨑 [無伴奏ソナタ2018]
こんなおじさんにも青春時代があったんですよ(岡田達也) [無伴奏ソナタ2018]
ども、岡田達也です。
今回のお題は『無伴奏ソナタ』にちなんで「思い出の一曲」。
今はそんなに音楽を聞かなくなってしまったけど、僕だって若い頃は人並みに聴いていた。
だから思い出の詰まった曲はけっこうあったりする。
あれにしようか
これにしようか
悩んだ挙げ句、ちょっぴり恥ずかしい青春時代の一曲を。
*
僕は1968年生まれ。
当然iPod世代でも、CD世代でもない。
もちろんレコードだ。
レコードにはA面、B面がある。
アルバムの場合、片面に5~6曲が収録されていた。
好きなアーティストのアルバムを購入して聴く。
「A1はやっぱりこの曲か!」
「A3からの4の流れが好きだなぁ」
「B1にこれを持ってくるんだ」
「なるほど、オーラスはこの曲で締めるのね」
A面の何曲目が何なのか?
B面の何曲目が何なのか?
この、曲の配置ってのが、とても大切だった。
*
大学時代、付き合っている彼女がいた。
彼女は僕の一つ歳下。
英語と音楽が大好きな彼女だった。
何しろ小学校5年生のときに『エルヴィス・コステロ』を聴いて衝撃を受けたというのだから、そのおマセ振りは半端ない。
彼女の将来の夢は「FM局のアナウンサーになって、自分の音楽番組を持ちたい」だった。
当時、開局したばかりの『FM802』でアルバイトを始めるなど、ちゃんと自分の行く先を見据えて行動していた。
一方。
僕はと言えば……
21歳にもなってやりたいことが見つからずフワフワしていた。
(50歳になった今でもそれは変わらないけど)
だから、大好きな彼女だったけど、心の片隅でちょっぴり嫉妬していた。
「どうしてその年齢で、自分の足元をしっかりと見つめられるのか?」
*
4年生になった夏、卒業したら東京に行くことを彼女に伝えた。
遠距離恋愛になる。
オマケに彼女は卒業後、いろんなFM局を受けると言っている。
東京に来られる確率なんてどれほどのものかわからない。
そんなこともあって、なんとなく、このお付き合いは続かないような気がしていた。
卒業を間近に控えたある日。
彼女は一本のカセットテープを僕にくれた。
背表紙に手書きで書かれたタイトルは『goody goody Melodey's』。
彼女のオリジナルセレクトで10曲入り。
特にUK好きだった彼女らしく、ネオアコを中心にギター・ポップな曲ばかりがセレクトされていた。
どれもこれもステキな曲だった。
僕は一人で聴きながら「彼女は、どんなことを考えながら、この曲順にしてくれたんだろう?」なんてことを考えた。
そしたらちょっぴり泣けてきた。
*
そのカセットのA1にセレクトされていた曲。
Trashcan Sinatras
『Obscurity Knocks』
*
卒業して半年くらいは連絡を取り合っていた。
でも、やっぱり続かなかった。
彼女は卒業して『FM愛媛』のアナウンサーになったと共通の友人から聞いた。
僕は配送の仕事でトラックを運転していた。
運転しながら、彼女からもらったカセットをずっと聴いていた。
その半年後、僕はキャラメルボックスに入団した。
自分の夢を叶えた彼女。
自分のやりたいことが見つからず流されるように生きてきた僕。
あのときが間違いなく人生の分岐点で、
今の選択が正しかったのかどうかなんて僕自身にもわかならいけど、
そんなときに触れた曲だから、
30年経った今でも色褪せること無く残ってる。
*
『無伴奏ソナタ』には『シュガーの唄』という劇中歌がある。
その曲がみなさんの思い出の一曲になると嬉しいです。
お待ちしています。
では、また。
どうもどうもどうも。山﨑 [無伴奏ソナタ2018]
3回目となる無伴奏ソナタにまさか参加できるとは…本当に嬉しいです…。
頑張ります。。。!!
思い出の一曲と言われても特に素敵な思い出は思い出せなかったのですが、小さい頃に教訓とした出来事なら覚えてます。
僕が幼稚園生の時に母が車を運転するときはいつも槇原敬之さんの曲が流れて居ました。
槇原敬之さんは兄も好きでそんなに素敵な曲なのかーと子供ながらに思ったのですが、人生経験が少ないからなのか僕にはまだその良さが分からずただただ聞いていました。
ある日母と2人で車に乗っていた時にその日も槇原敬之さんが流れていて丁度「うん」という題名の曲でした。
その時僕は母に槇原敬之さんのどんなところが好きなんだろう!その良さも聞いたら僕も好きになれるかもしれない!と思い立ち母に質問をぶつけました。
「槇原敬之のどこが良いの?」
どんな、答えが返ってくるのか!ひょっとしたら好きになったきっかけとかも話してくれるかもしれない!そんなことを思いながらワクワクして答えを待っていると、なんと…
母が激昂したのです。
ものすごく不機嫌に車を運転し始めました。
「槇原敬之のどこが良いの?」
僕の聞き方がきっと悪かったのでしょう…きっとバカにされたように感じたのでしょう…
申し訳ないなという気持ちとともに。
ですが、子供にそこまでキレるか!?
そんなにダメなことを言ったのか!?
楽しい会話をしようとしたのにそれはないだろう!!!
と…しばらく落ち込みながらその時に心に決めたのです。
人に悪意のない質問をするときは、ポジティブな気持ちで聞こう。一度考えてから質問をしようと。
なので、槇原敬之さんを聞くたびにたまにこの出来事を思い出し結局母や兄のように槇原敬之さんを好きにならず今に至りました…。
なので僕の思い出の一曲は槇原敬之さんの「うん」です。
ですが、決して嫌いではないですからね!!
皆様も質問をする時には十分に気をつけてださい。特にその人の好きなものを質問するときは特に… 笑
今日は雲1つない快晴!熱中症に注意してくださいね!では今日も行ってきます!