ストリートミュージシャンだった頃の思い出(221)
皆さん、こんにちは!
筒井こと221です!
この度、3度目の上演にして初参加となりました「無伴奏ソナタ」。
初演・再演の時は、客席でのほほーんと楽しんでいるだけだったのですが、
今回、この演目にかかわってみて、やることの多さにビックリしています。
恥ずかしながら、2回も見ているはずなのに、こんなに盛りだくさんだったとは気付きませんでした。
今回も、白鳥のごとく、水面下では必死になりながらも、苦労をお客さんに悟られないように頑張ります(汗
さて、何やら今回はブログのテーマがあるそうです。
「わたしの思い出の1曲」
うーん…困った。
僕は、本当に音楽には縁遠い人間でした。
買ったCDも数えるほどしかないし、若い時に買ったアイポッドに、たくさんの曲を入れたのですが、
結局聞かずに埃をかぶらせてたし、今もiPhoneには曲なんて入ってないし…
あ!しかし、考えてみたらありました。
思い出の曲。
それは、僕が学生時代に流行った「モー娘。」でも「SPEED」でも、
かつて歌舞伎町にあったシアターアプルの上のコマ劇場で歌っていた「北島三郎」の歌でもありません。
「埴生の宿(はにゅうのやど)」です。歌ではなく
羽生結弦くんが泊まった宿の歌ではないです。
元題は「Home, Sweet Home」というタイトルで、1800年代に作られたオペラの楽曲。
日本では明治時代に中学校の唱歌として歌われたそうです。
僕はこの曲を「ビルマの竪琴」という映画を見て知りました。
当時3歳だったか4歳だった僕は、
この映画を見て大感動。
繰り返し繰り返し「ビルマの竪琴」のVHSを見て、とうとう「埴生の宿」を暗唱するまで覚えました。
実家の軒先で、ずーっと、
「はにゅーうのーやどーは、わーがーあやーあーどー」
と歌っていました。
そのため、いまだに実家の近所の人からは、「水島」というあだ名で呼ばれます。
※「ビルマの竪琴」の主人公の名前です。
生涯歌った回数では、おそらくいまだにナンバー1の楽曲だと思います。
ちなみにその後「銀河鉄道999」を見て大感動した僕は、
家の軒先で、麦わら帽子に風呂敷のマントを羽織り、水鉄砲のコスモガンを片手に持って、
「銀河鉄道999」のテーマ曲を歌っていました。
ちょっと、若い人にはわからないワードの多い文章になっちゃいましたが、
僕の数少ない、ストリートミュージシャンの思い出でした。
あ、そんなこんな書いているうちに、稽古の時間が迫ってきました。
今回、キャストも大幅に変わったので、過去2回の「無伴奏ソナタ」とはかなり違う雰囲気になりそうです。
皆さん、どうぞお楽しみに!
それでは、稽古に行ってきます!
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